東日本大震災避難者の会 Thanks & Dream (サンドリと呼ばれてます)

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東日本大震災5周年 避難者の「声」 NO.3 R.H さん 福島県郡山市→大阪府八尾市

震災から5年となりました。今も変わらずご支援いただいている皆様ありがとうございます。
 我が家は2年半の母子避難生活ののち、夫が大阪へ転勤となり今は大阪で家族そろって暮らしています。普通の生活を送れるありがたさを身に染みて感じています。
 夫は震災後、目の周りの湿疹がひどく真っ赤になっていました。大阪に来てから皮膚科に行き、大学病院でも検査を受けましたが、結局原因がわかりませんでした。しかし、大阪へ来て1年ほどすると、福島にいる間全然治らなかった湿疹がだいぶよくなり、今ではほとんど目立たなくなりました。他にも福島にいる間に、単身生活のストレスや週末に福島と大阪を往復する生活の疲れが出たせいか、慢性扁桃炎や逆流性食道炎にもなりましたが、昨年ごろからずいぶんと良くなりました。健康面では、まだまだ子供の甲状腺検査のことなど気になることもありますが、我が家は良い方へ向かっていると思います。
 我が家はたまたま大阪への転勤で母子避難を終えることができましたが、夫の勤務先の配慮がなければ今も母子避難を続けていたと思います。
各家庭の事情で、母子避難や家族避難、帰還など、やむなく何かを選択し何かを犠牲にして生活しています。元の生活に戻ることはできませんが、各家庭が何を選択したとしても良い方へ向かっていけるような支援はまだまだ必要だと思います。5年という月日が流れて、避難者の生活状況もさまざまだと思います。各家庭に必要な支援が届くよう願っています。
  R.H さん (福島県郡山市→大阪府八尾市)
                      (2016年2月8日執筆)

| 【東日本大震災5周年企画】 | 19:10 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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東日本大震災5周年 避難者の「声」 NO.2 横浜→奈良

原発事故後、鼻血が止まらなくなった息子と、娘を連れて2012年に母子で神奈川県から奈良県に移住して3年半が経ちました。鼻血は止まり関西の生活にも慣れ、私も子ども達も、ここ関西で新しい人生を歩み始めています。移住当時小学6年生だった娘が、引っ越して3年近く経ってから「避難して良かったと思うよ」とポツリと言いました。突然の引越しにきっと憤りや不安もあったと思います。関西弁の洪水の中に突然入れられて、子どもなりに苦労もあったと思います。それでも避難して良かった。そう言ってもらえてママも本当に嬉しかった。 身体と心が健康なら、どんなことも頑張れる。自分の生きたいように生きていいって気付いたら、きっと素晴らしい人生を自分で切り開いていくことが出来る人になると、信じています。思い切って関西に来て、本当に良かったと実感する日々です。
   横浜→奈良 (2016年1月28日執筆)

| 【東日本大震災5周年企画】 | 19:06 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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東日本大震災5周年 避難者の「声」 NO.1 福島県いわき市→埼玉県子供二人と避難生活中

日に日に5年目の311が近づいていく。
心がなんだかサワサワする。
311をどう過ごすか、、、。どこかの追悼の集まりに行きたいかな。
一人でいつもと変わりない日にしたいかな。答えが出ない。
なぜ?東日本大震災という未曾有の大災害については、哀悼の意もあるし、忘れてはならない災害という意味で大事な節目であり、5年目の311として忘れかけていた人々の心を呼び覚ますためにも追悼のの集まりや、メディアの報道は大事だ。そういう意味では大事にしたい節目と思う。だからどこかの集まりに行こうかなという自分もいる。
逆に福島第一原発事故に対する311にたいして、なにも思うところがない。5年目のということで、この事故の被害者として取材、伝えてくださってる方々には感謝している。でも、原発事故に対しては、5年の節目ってなんの意味もない。だって避難者の状況は変わらないどころか、心無い政策によって私たちの心を日々不安で満たしている。5年間、日々変わりなく繰り返されてる不安。5年目の311だからってなんらなにも変わらない。日々毎日が311であって311でないような不思議な感覚。だから5年目って言って特別な感情が沸くわけでもなんでもない。だから、何事もなかったかのように、いつもと変わらない日常を過ごしたい。5年目だからって、特別こころを揺り動かしたくない。胸にポッカリ空いた穴が広がるだけだ。
でもテレビの報道は、東日本大震災と原発事故を一緒くたにした意味のわからない報道をしていて苛立ちを覚える。
それぞれの復興と題した福島応援プロジェクトならぬもの報道したり、福島風評被害に負けない、なんて番組作りしたり。
そんなの私からしたら、ふざけてるなと思う。福島県民のこころを置き去りにした形だけの復興だ。そんなの復興でもなんでもない。
本当の復興とは、みんなの心から不安がなくなり、なんとか前に進もうって思えることなんじゃないの。そしてそれが形に残る復興という行動につながってくるんじゃないの。
原発事故の事他人事に思ってる人にとったら、5年も立つのにいつまでも甘えてんじゃないだとか、いい加減前向きになりなよって思うかもしれない。
私だってできればそうしたいって思ってるしできる範囲で努力している。
でもね、なんで私達の傷が癒えないかわかる?
原発事故はまだ継続中だし、東電は黒字で大儲かりしてるのに、誰一人謝罪せず、罪に問われていない。反省すらなく、国は原発再稼働を推し進めている。
そして、今度はやっと住み慣れてきた住居をまた奪おうという心無い政策を推し進めている。心にポッカリ空いた無の穴をさらにさらに大きなものにしようとしてくれる。そのうち穴が広がって心がなくなってしまんじゃないかって思ってしまう。
どうしたら心の穴が埋まるかって、私が心を取り戻せるかって、それはただ一つ。
心ある謝罪と反省の意を示して欲しい。その謝罪と反省を活かした行動をして欲しい。
それがあるのなら、五年という歳月で心の穴は埋まってたように思う。
謝罪なし反省なし、さらに心無い政策の積み重ねでどんどん私達の心の穴は広がっていくよ。
お金いくら積まれたって、その穴はふさがるはずないんだよ。
誠心誠意謝ってる人に対して怒り続けるなんてしないよね。もういいよ、顔上げてって言えるよね。
それを国も東電もしないから私達はあなた方々を許せないし、こころのポッカリ空いた穴はふさがらないんだよ。
とはいえ311を一人過ごすのは辛いんだよね。メディアはそればっかりになるし、あの時の辛かった思いがどこにいても蘇る。
平日で子供は学校。金曜日だからパートも塾もあるから、なんとか乗り切れるか。
何事もないように心ゆり動かないようにいつも通りでいよう、、、、。  
                             
       福島県いわき市→埼玉県子供二人と避難生活中
               (2016年1月31日執筆)

| 【東日本大震災5周年企画】 | 18:50 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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東日本大震災5周年企画@梅田 無事終了いたしました。ありがとうございました!

2016年3月1日~11日まで(土日を除く)
東日本大震災5周年企画@梅田を無事に終えることができました。


皆様のお支えがあったから私たちも頑張り続けることができています。
たくさんの方にご来場くださいました。
たくさんの出会いがありました。
たくさんの方の声をお聞きすることができました。
たくさんのメッセージをいただきました。
たくさんのご寄付をいただきました。
本当にありがとうございました!!

企画は終わりましたが、私たちの活動はまだまだ続きます。
どうぞご一緒に歩んでいただけたらと思います。
よろしくお願いいたします。



「声」を届けてくださった3.11避難者の皆様
展示物をご提供してくださった方々
ご協力ありがとうございましたm(__)m



| 【東日本大震災5周年企画】 | 00:47 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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【毎日新聞】東日本大震災5年 復興へ思いつなぐ 大阪でも祈りと交流/大阪(2016年3月12日)

東日本大震災5年
復興へ思いつなぐ 大阪でも祈りと交流 /大阪

毎日新聞2016年3月12日 地方版

http://mainichi.jp/articles/20160312/ddl/k27/040/356000c

社会一般
大阪府
 東日本大震災から5年を迎えた11日、大阪市内でも、被災地の現状を伝え復興を応援するイベントや、被災地から関西に避難して暮らす避難者の交流会などが開かれた。各会場には多くの市民や支援者が足を運んだ。【吉田卓矢】

 黙とう--。大震災が起きた時刻の午後2時46分、大阪市北区芝田で避難者の手記などを展示している自助団体「東日本大震災避難者の会 Thanks&Dream」(通称・サンドリ)の会場では、20人超の市民らが震災犠牲者をしのんだ。(略)

 一方、梅田スカイビル(北区大淀中)でも、震災復興応援イベント「3・11 from KANSAI 2016」(実行委主催)が開かれた。

 こちらも同じ時刻に黙とう。復興支援に携わる企業の取り組みや震災5年の課題を話すパネルディスカッションがあった。更に、一日限りの写真展「わたしの見た3・11」では、被災地の写真311枚を展示。津波で倒壊した岩手県大槌町の建物の写真や、宮城県東松島市で民家にたまったヘドロをかき出すボランティアの写真、福島県南相馬市で津波に流された消防車の写真などが並んだ。市民らは震災の惨状を伝える写真に見入っていた。

| 【東日本大震災5周年企画】 | 21:33 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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