東日本大震災避難者の会 Thanks & Dream (サンドリと呼ばれてます)

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【東日本大震災5周年 避難者の声 NO.8 】    Mさん  (福島県郡山市→大阪府)

【東日本大震災5周年 避難者の声 NO.8 】
      Mさん  (福島県郡山市→大阪府)


 2015年12月25日の夜、避難元まで乗せて行ってくださる「里帰りボランティアバス」に乗って、
福島県郡山市の自宅に一時帰宅してきました。

3.11当時は0歳と3歳だった子どもたちも、今は、5歳と8歳。
クリスマスには間に合わなかったけれど、
ほんの少しでも離れている父親と子どもたちが楽しい一家団欒の時を過ごすためです。

5年近く母子避難を続ける私たちにとっては、
5度目の冬を迎えましたが、毎年思います。

あの日以来、私たちにはクリスマスもお正月も心からお祝いしたことなんかないなぁと・・・

ふつうの家族が一家団欒を楽しむというふつうの日常をどれほど犠牲にしているのかと思うと心が痛いです。
子どもたちは久々の帰省とあってはしゃいでいましたが、私の頭の中は、この多くの人々が住んでいるこの避難元に、
やはり戻ってきて家族4人で暮らしていけるのか?という視点でつぶさに街の様子を観察します。

気の重たい作業です。
なぜなら、郡山駅に降ろされた瞬間、街はふつうに車も走り、人は行き交い、通る人々はまるで何もなかったかのようです。
ですが、駅前に表示されるモニタリングポストは現実を物語っていました。
綺麗に掃除されて周囲がコンクリートで「土」の地面近くでもないのにこの数値。

 
グラフィックス1
駅前モニタリングポスト
 (原発事故前、福島県の空間線量は毎時0.04~0.05マイクロシーベルト。2015年12月26日撮影)

グラフィックス2
郡山市民文化センター
(小数で小さい値のように見えますが、ケタが違います。
一桁違うのです。1ケタ違うということは、10倍線量が高いということです。
2015年12月26日撮影。)


グラフィックス3
屋内遊戯場・ペップキッズ郡山
(それでも十分高い値です。ちなみにこれら行政が設置したモニタリングポストは周りをしっかりと除染し、
コンクリートで固めていて周辺よりも低めに表示されますが、それでもこの数値です。2015年12月28日撮影)

 
この数値の意味を知る人で、ここに帰るべきだという人はおそらく一人もいないと思います。

そういうことを平然と言える人は、
自分がそこに住まなくてよいとか無関係だと思っていることの証にほかなりません。
いかに親身ではないか、他人事だと思っているか、ということです。

そして、私は5年経った今、思うのです。
いったい、どれほどの人が、この数値の本当の「意味」を理解しているのでしょう。

現職の環境大臣(ちなみにこの方は小さいお子さんもお持ちのお母さん議員さんでいらっしゃったと思いますが)のご発言が
一事が万事ということであって、ほとんど、この数値の意味も分からず、皆さん好きなことを好きなようにおっしゃる。

5年もの歳月があったのです。
私は、これらの数値の意味がもっと教育の現場、そして広く一般でも語られ、理解され、
そして対策が立てられ、子どもたちが救われる手だてが講じられる5年を想像していました。
しかし、そうではない現実に、今、打ちのめされています。
 
目には見えない、色もない、五感で感じることができない低線量の被ばくに対して、
精神的に「慣れ」たとしても、
肉体的に人間の体が放射線に「慣れる」ということはない
のです。
着実に被ばく量を重ねるという現実。
その影響を引き受けるのは一体誰なのでしょうか。

私は親ですから、子どもを生み、育てる以上、健康被害のリスクはより下げたいと思うのです。

このことは、何ら恥じること無く、むしろ、親として、人間として、当然のことであり、
子どもが生涯にわたり健康であってほしいというのはいつの時代も変わりなく、親としての、子を産んだ母親としての
ごくごく単純でささやかな普遍的な願いではないのでしょうか。

もうひとつ、郡山の自宅への一時帰宅で衝撃的な光景を目にしてしまいました。
 

グラフィックス4
一列に並ぶフレコンバッグ(放射能の袋詰め)
 2015年12月28日

福島の自宅マンションの裏には、JRの鉄道の整備工場の広い敷地があります。
もちろんコンクリートの打ちっぱなしではなく、広大なその敷地はほとんどが土で強い風が吹けば砂埃が舞い上がります。
敷地はフェンスで囲まれているのですが、そのフェンスの足元には雑草が生い茂り、
事故の直後から、いかにも放射線が溜まりやすく線量も高そうだなと思っていました。

また、その敷地は全体的に盛り土がされているのか、ちょうど大人の顔の高さくらいに敷地全体が1メートルほどかさ上げされていて、敷地の横を通るとき、土壌や雑草を顔のそばに見ながら通行しなければならず、非常に危惧しながら震災直後は通りたくない道でした。
でも、駅やスーパーマーケットにつづく一本道で、嫌でも通らなければならない生活道でした。
 
それが、今回の帰省で、とうとうその敷地にも「除染」の手が入ったのか、敷地が隅々まで綺麗に掃除され、
フェンスの足元の草ぼうぼうだった雑草などが全て綺麗に刈り取られていました。
 
ここまでなら、5年経ってやっと・・・とはいえ、喜ぶべき事なのでしょうけれど、
そうは問屋が卸さないとはこのことです。

ふと敷地に目をやると、そこには整然と並ぶ大量のフレコンバッグの列
 
しかも、たちの悪いことに、通行人の目線では1列(およそ40個)なのかと思いきや、
郡山の自宅はマンションなので上階から確認すると
、なんと、40個×10列=ざっと数えても400個はあります。


151228_092754 フレコンバッグ@福島県郡山駅前.jpg
市街地にもおびただしい数のフレコンバッグ(放射能の袋詰め) 
2015年12月28日撮影

フレコンバッグとは、
除染のために刈り取った草木や放射線で汚染された土、枯れ木、その他放射能汚染された核のゴミを集め、
ちょっとだけ分厚い感じのビニールみたいな素材で作られた袋に詰められたものです。
ようするに、簡単に言うと汚染された放射性物質の袋詰め、核のゴミの塊というわけです。
 
想像してみてください。
ふつうの生ゴミとかではないのです。
「核」のゴミなのです。

そして、想像してみてください。
皆さんのお住まいの地域のゴミ収集事情は多少は異なるかもしれませんが、
大体においてこの国では、1週間に2回位の頻度で、ゴミ収集車がやって来て、
生ゴミであれば焼却場へ運んでくれませんか?

私が避難している先の大阪では、週に2回、火曜と金曜の朝には
ゴミ収集車が生ゴミを運び去ってくれますし、
木曜日にはプラスチックのゴミが運び去られます

でも、この放射能の袋詰めは、半永久的にココから運び去られることはないのです。
数日滞在しましたが、微動だにせず、
そこに、風景に馴染むこともなく、ただそこに存在し続けました。
もちろん核のゴミ収集車がやって来て綺麗に運び去ってくれるということはありません。
半永久的にないでしょう。

よく、テレビのニュースでは、強制避難区域となった地域の広大な田畑、山林近くに、
大量のフレコンバッグの山積みの映像が流れます。

このことも、異常事態、非日常、ありえない原子力の惨禍の一端を可視化できるものとして好んで大手メディアや新聞報道で大々的に報道もされます。
よく県外からの来訪者もココぞとばかりにフレコンバッグの山積みの映像と、同時に、
そのそばにマスク姿で立ち、線量計をかざし、高濃度の汚染の証拠写真が数々残されています。
(ちょっと丈夫なただのビニール袋詰めですから当然周囲の環境以上の高線量をこのフレコンバッグは放っています)

でも、私は、本当に国民が知るべきは、この現実なのだろうと思うのです。

そして、原子力の惨禍に本気で人々が向き合おうとするなら、
人類が共通の認識と理解として知るべきことは、
この、ふつうに人々が暮らす空間に、おびただしい数の放射能の袋詰めがこのように堂々と鎮座し、
どこに運び去られ、処分されるあてもなく、現実は、高濃度の放射線を放ちつづけ、
その汚染物のすぐ脇を通って通学する子どもたち、通勤、生活する人々が存在している、
ということだろうと思うのです。

何事もなかったように。
まるで、そこにある放射能の袋詰めが見えないものであるかのように
見えているのに見えないものとして扱うことではないと思うのです。

放射線は目には見えないし、色もニオイも肌で感じることもない、
でもあきらかにそこにはフレコンバッグがズラリと存在し、
何百個というおびただしい数の放射能の袋詰めの目の前で生活を余儀なくされる人々が
現実に存在しているのです。

通常一般人の感覚として、とうてい受け入れられるものではありません。

避難元を出る選択肢が用意されず、もしくはそこから立ち去るという手段がない人間にとっては、
これは「慣れ」なのでしょうか?
それとも受け入れるしかない、という「諦め」に似た感情なのでしょうか。

そこから運良く退避出来た私には想像もつかない人間の心理や葛藤があることは想像に難くないのですが、
それは私の想像の域をでしかありません。

ただ、私が言えることは、たとで大多数の人が「慣れ」なのか「諦め」なのかはわかりませんが、
そうであったとしても、
私は、放射能の袋詰めと共存することに、慣れたくはないし、諦めることもしたくないと思うのです。

ふつう、自分の家の前にゴミを置かれたら、人はそのゴミは除けてくださいと請求することが出来るはずです。

それが毒を放つもので、人体に悪影響しか及ばさないものであればなおさら、
それを取り除いてくれと要求することは、至極当然であり、真っ当であり、正当な権利の主張であると思うのです。

通常の生ゴミであれば、例えば異臭を放つ、害虫が発生して極めて環境が不衛生になる、など
受忍限度を超えて害悪を与えられれば、強制執行などの手続きをふんで
、ゴミが取り除かれるまでは罰金が加算されていくとか、
行政代執行など、直接的に取り除く手段が講じられると思います。

でも、それが出来ないのが放射能の袋詰なわけなのです。
持っていき場もない。自分で素手で取り除くこともできない。
そして、核のゴミを受け入れる自治体などないということは、
報道でも皆さんがご承知のとおりです。

放射能の袋詰めとの共存など、およそ通常一般的な感覚を持ち合わせている母親が、
普通の精神状態で冷静に考えて、
受け入れられると、本気で世の中の人々は思っておられるのでしょうか?

もしも自分だったら、
自分がわが子とともにこの現実を突き付けられたなら、
あなたは黙ってこの放射能の袋詰めを目の前に「暮らし」を営もうと思えますか?

「復興」「がんばろう」「絆」・・・
きれいな言葉で美談に仕立て上げるのはやめにして下さい。
これが、福島の現実です。

目の前に、放射能の袋詰め。
持っていき場のない核のゴミ。
その前を子どもたちが通り、人びとが行き交う。
特にマスクもしないし、夏には半袖で出歩きます。

まるでそこにあるフレコンバッグそのものさえも、見えない放射能と同じに
まるで見えないもののように扱うのは
どうかやめにして下さい。

『裸の王様』というお話があります。
王様は裸なのに、誰一人、そのことを指摘しない。
でも、純粋に、まっすぐに、事実を、見たままを口に出せる「子ども」は、
「王様は裸だよ!おかしいよね。」って言えます。ちゃんと、声に出して、事実を言うのです。

「放射能の袋詰めがおいてあるよ。持って行く場所もなく、目の前にある。こんなことって、おかしいよね。」

アンデルセンの童話は、誰の心の中にもある虚栄心を痛烈に風刺していますが、
もしかしたら、5年経って、
先進国(であるはず)の、経済大国(であるはず)の美しい国(であるはず)の、この日本という国で、
まさか原子力に対して手も足も出せない、コントロールなんてできないということに、
人びとは耐えられないから、
見えているフレコンバッグでさえも見えないもののように扱えてしまうのでしょうか?

漏れ出した放射能の処理一つ満足にできない、そんな恥ずかしいことがあってはならない、
賢くて勤勉で有能で優秀な世界に誇れる日本ブランド、世界から称賛を浴びる日本人、
そんな国民一人一人の傲慢やおごりが、
目には見えない放射線を皮肉にも見える化しているフレコンバッグを目の前にしてもなお、見えなくさせてしまっているのではないかしらと
私はそう思わずにはいられませんでした。

でも、そんな大人の虚栄心のために誰がリスクを背負うのでしょうか。
また、健康被害のリスクを高め生涯にわたり被ばくと向き合わされるのは、
一体誰なのでしょうか。


震災から5度目の冬、
私は「慣れ」という恐ろしい現実を体感し、
「あきらめ」に似た感情の大きな波にのまれそうになりながらも、
やはり避難元には戻れないという事実と向き合い、
失意の中、
帰阪し、避難先の大阪で新年を迎えることとなったのです。

放射線に「慣れ」ることはないと確信した私は、同時にあきらめることもないということもまた、確信しています。
それは、避難をし、身を寄せる先があるから言えることなのかもしれません。

だからこそ、その環境に感謝をすると同時に、自分のできることをしようと思います。

与えられたたった一つの命は大切にされなければなりません。
命を守り、健康と子どもたちの未来のために、私は「避難」を選び続けることをこの日もまた「決断」したのでした。

5年経っても、毎日が「避難を続ける」という苦渋の決断の連続なのです。

                (福島県郡山市→大阪市・2児を連れて母子避難 2016.3.11)
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