東日本大震災避難者の会 Thanks & Dream (サンドリと呼ばれてます)

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【 3.11避難者の声】福島一時帰宅レポートと年頭のご挨拶(Thanks & Dream 代表・森松明希子)

【3.11避難者の声】福島一時帰宅レポートと年頭のご挨拶

3・11の震災から6度目のお正月でしたが、
震災後初めて、年末年始を福島の自宅で過ごすことができました。

大阪市ボランティア・市民活動センターと市民フォーラムおおさかが出してくださった
里帰りボランティアバスにご乗車の皆さまま方に子どもたち二人も助けていただいたおかげで、
無事、大阪ー福島の往復ができました。

このボランティアバス内でしか会えない避難者同士の交流や近況報告も、
長きにわたる避難生活を送る私たち避難者にとりましては、
同じような状況の避難者同士、安心して本音が語れる貴重な「場」ともなっていまして、
家族離散の困難な状況を乗り越えているのは我が家だけではないということもまた、
いつも大変な励みとなっています。
本当にいつも感謝です。


「フレコンの 前で子育て わたし無理」

20170102福島県郡山市フレコンバッグ
(写真は2017年1月1日@福島県郡山市の自宅から撮影したものです。)

約1年前に出現した福島の自宅前のフレコンバッグ(核のゴミ袋詰め)。
1年経っても、挑戦的に鎮座するフレコンバッグ。
我が家の玄関出たら視界に飛び込んできます。
ここは福島県郡山市、思いっきり市街地です。
   
この前を春には新一年生になる我が子を 
何の防護策もせずに毎日無防備に通学させようとは、 
どうしても私は思えないのです。 
 
私は誰よりも「福島」と向き合っていると自負しています。
3.11以降、毎日が「今日も避難を続ける」という決断の連続なのです。
  
まだ言ってるの? 
いつまで避難って言いつづけるつもり?
もう移住だよね?
家族で引越したら?

あの日から、1日も休まず向き合っているのです。 
誰よりも真摯に向き合っているという自負と自覚が
私にはあるのです。

私は6年前の3.11当日、
当時0歳と3歳だった子どもたちを育てる親として、 
小児甲状腺ガンは素人目に見ても
原発事故の影響による多発にしか見えない丸6年後の今、
この地で何の防護策もとらずに生活することは、 
私には考えられないというだけなのです。
 
他方で、福島県郡山市は強制避難区域には一度たりともなっていません。
一見すると、人々はふつうに暮らしを営んでいるように見えるでしょう。
福島に残り、仕事をしている私の夫もその中の一人かもしれません。 
「避難」は「保養」の最たるもの、と私は思っています。

つまり、「母子避難」という我が家の選択は、
国家的な保護も救済も何一つ制度としても確立していない中での 
私にとっての最大限の被曝防護策であり、
放射線被曝から免れ健康を享受する権利
ただ、ひたすら実践しているだけなのです。
  
個人の尊厳を全うしながらの
苦渋の決断でもある「避難」という権利の行使を、
続けさせてほしい、
そう思う年頭の私の思いがあります。

健康を享受するという普遍的な権利の行使を
妨害する権利は誰にもないと思うのです。
今年も避難を続けなければならない現実があるから、
その選択を続けようと思います。
 
 
原発国内避難民が避難を継続したいと発言することに
ますますプレッシャー
を感じながら迎える
福島原子力災害から6度目の正月ですが、
原発避難者としての視座を据えた発信を
できる限りで、できる範囲で続けたいと思います。 

今年も避難を続ける必要性が、
私にはおおいにあるので、
避難を続けさせて頂きたいと思うのです。

応援してくださる皆様方、
ご理解とご協力をしてくださるすべての皆様方に
心から感謝を申し上げます。

この問題について、
ご自分ごととして、
この国の未来のために、
次世代を担う子どもたちのために
ご一緒に歩み、ご尽力くださる全ての方々に、
心から感謝と敬意を込めて、
新年のご挨拶とさせていただきたいと思います。

本年もどうぞよろしくお願い致します。 

東日本大震災避難者の会 Thanks & Dream(略称:サンドリ) 代表
福島→大阪・2児を連れて母子避難
森松明希子

20170102

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