東日本大震災避難者の会 Thanks & Dream (サンドリと呼ばれてます)

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【3.11避難者の声】「ふつうの暮らし 避難の権利 つかもう安心の未来」裁判@大阪地裁 第9回口頭弁論期日での原告意見陳述書(森松明希子)

              2016〔平成28〕年6月2日

       意見陳述書

              第一次訴訟原告1-1 森松明希子

原告の森松明希子と申します。
発言の機会をいただきまして、心から感謝申し上げます。

 私は東京電力福島第一原発事故から2カ月後の2011年5月、
大型連休をきっかけに、
福島県の郡山市から避難をすることになりました。
現在、子どもたち2人と大阪市に避難をしています。
いわゆる母子避難です。

夫は、今も福島県郡山市で、医師として事故前と同じ病院で働いて、
家族の避難生活をささえていています。
夫が郡山市に残っているのは、
福島県から避難することが出来ない患者様の治療を
放棄することが出来ないからです。

0歳で大阪に連れてきた私の娘は、5歳になりました。
0歳の時から父親と一緒に暮らすという生活を知りません。

3歳の時に避難した上の息子は、今も福島県民でありながら、
大阪の小学校に入学して、現在は小学校3年生です。
絵を描かせると、いつも大好きな父親と会えることを夢見て
東北新幹線の絵を描いて子どもなりに寂しさを乗り越えています。

子どもたちの父親である私の夫は、
そんな子どもたちの日々の成長をそばで見ることが出来ない
この5年間でした。


今日ここで、私が最も伝えたいことをお話ししたいと思います。
多くの人たちが、身の危険に直面したら逃げるのが当然で、
逃げることは簡単にできると思い込んでいます。

でも、3.11後に起きた東京電力福島第一原発事故を経験して、
そんなあたりまえのことができない社会的状況があることを、
私は身をもって知りました。
そして、すべての国民が現在進行形でそれを目撃していると思うのです。

火事が起きれば、熱いから、人は逃げ出します。
地震で家が壊れれば、崩れて下敷きにならないようにその場から離れます。
津波が海の向こうから見えれば、人は波にさらわれないように高台に走って逃げます。

ですが、原子力災害はこれらの自然災害とは異なり、
明らかに「人災」です。
そして漏れ出るものは「放射能」。
放射能は、色もない、ニオイもない、
それが低線量であれば五感で感じることは出来ません。

原子力を国策としてすすめた国が、
そして原子力産業により莫大な利益を得る東京電力が、
きちんと責任をもって放射線を管理し、
管理できない状態になればすみやかにそれを知らせ、
状況をつぶさに隠蔽せず公表し、
汚染状況を詳細に周知徹底し、
危険については警鐘を鳴らし、
適切な避難の指示・勧告、そして制度と保障を行わなければ、
一般の人々は逃げることは容易ではないのです。

そうであるにもかかわらず、高いハードルを越え、避難を決断し、
避難を続ける人たちの現実の「声」に、
どうか想像力を持って耳を傾けて下さい。


 母子避難を決心するまでの2ヶ月間は、
地震直後の混乱の中、
パニックを起こさないように、ただひたすら
「収束するから」「復興」「がんばろう東北」の言葉を信じて、
とても違和感のある生活に耐えていました。

「健康に直ちに影響はない」と繰り返すばかりの当時の官房長官の言葉とは裏腹に、
子どもたちを一切公園には出さず、長袖長ズボンで外出時はマスクを着用させていました。
外遊びをさせない、洗濯物を外に干さない、窓は開けない。
このようなことが当たり前となっていき、
とても普通の暮らしを送れる状況ではありませんでした。
 
週末が来れば、家族で車に乗りこみ、
隣県の山形県や新潟県まで高速道路をひたすら走り、
普通の町中にあるようなブランコや滑り台のあるだけの公園を見つけて
小一時間ほどそこに3歳児を降ろして遊ばせて、
また何時間もかけて福島に戻ってくる。
そんなおかしな生活を続けていました。

私の住んでいた郡山市は、
福島第一原子力発電所からは60キロメートルほど離れていますが、
当時は同心円上に避難指示、屋内退避命令などが広げられていき、
徐々に汚染地域が広がっていく恐怖に怯える毎日でした。

それでも国は、
より危険な地域から
順次、人を避難させてくれるものだと信じていました。

私が一番衝撃を受けた出来事は、
避難所で、1ヶ月近くたとうとするころ、
テレビのニュースで
「東京の金町浄水場から放射性物質が検出された」
との報道でした。

福島第一原発から200㎞も離れている東京で放射性物質が検出されて、
60㎞の郡山の水が汚染されていないはずはありません。
実際、翌日には
福島市や郡山市などの水も汚染されていると報じられました。
しかし、報道がなされても、
地域住民全てにペットボトルの水が行政から配られるわけではないのです。

この国の多くの人が、
福島原発事故により水道水が放射能により汚染されたという事実を知っています。
しかし、私たち周辺地域の住民が、
放射性物質がたとえ「身体に直ちに影響はない」程度であるとはいえ、
放射性物質が検出された水を飲まざるをえない状況に追い込まれ、
それを飲むという苦渋の決断をしたということは知られていません。

また、その水を飲んだ母親の母乳を赤ちゃんに飲ませるという
過酷な決断を迫られたことも知られていません。

あの時、どれだけの放射線を浴びたのかも分からない上に、
私たちは汚染された水を飲み、たとえ直ちに影響はなかったとしても、
一生涯、自分や子どもたちに出てくるかもしれない健康被害の可能性と
向き合っていかなければならないという現実があるのです。

それは、「不安」だとか「心配」とか、
そのような軽微な形容で言い表されるものではありません。

「被ばく」は事実であり、
被ばくが健康に悪影響をおよぼすということも否定出来ない事実です。

私たちは、「被ばく」による健康影響という「恐怖」と、
あの日から向き合わされ続けているのです。


避難して初めの1年間は、
いつ戻れるか、いつになったら家族4人でまた再び一緒に暮らせるのか、
そればかりを考えていました。
これほど長期にわたり、見通しの立たない避難生活を送り続けることになるとは、
避難した当初は考えてもいませんでしたし、
避難生活は、苦痛以外の何ものでもありません。

ですが、5年経ち、次々と明らかになっていく客観的事実から考えれば、
子どもの健康被害のリスクを高めることになる「帰還」(戻る)という選択は、
少なくとも私にはありえません。

放射能汚染は、当然のことながら
強制避難区域や福島県境などの行政区域で止まるわけではありません。
風向きや降雨、地形などによって
ホットスポットが避難元にはいたるところに点在することが分かっています。

5年経った今でも、私の避難元・福島県郡山市には、
自宅の目の前に放射能のゴミが詰められているフレコンバッグが何百個も並んでいます。
その環境に幼い我が子を戻そうとは、私にはとうてい考えられません。

5年前、震災直後から、長崎から放射線の専門家という方が福島県にやってきて
「ニコニコ笑っていれば大丈夫」
「鼻血は放射能を心配しすぎるお母さんの気のせいです」
とふれて回り、
小児甲状腺がんは100万人に1人くらいしか発症しない、
チェルノブイリとは違うのだ、
避難をするなんて神経質すぎる、
という風潮が作りあげられていきました。

ですが、5年経って、
100万人に1人か2人しかならないはずの小児甲状腺がんは、
福島県内の18歳未満の子どもたち(30数万人対象)を調べただけで、
年々増加し、現在166人と多発しています。
放射能による汚染は、福島県内にとどまりません。


日本国憲法の前文には、
「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する」
と書かれています。
私は、東京電力福島第一原発事故以降、
放射線被ばくの「恐怖」から免かれ、平和のうちに生存していると思えたことは一度もありません。

 あの日福島の空気を吸い、福島の水を飲んだ私たちにとって、
「被ばく」は、現実の「恐怖」以外のなにものでもなく、
避難できたからそれで終わり、ではありません。

私たちは、ずっとこの「恐怖」をかかえたまま
健康被害が発症しないことを祈ることしか出来ないのです。
被ばくと直面しながら、避難せずにいる人々と同じように、
子どもたちに甲状腺の検査を受けさせる度、胸が押しつぶされる思いがし、
検査結果の通知を開封する度、手が震えます。

ですから、私たちは、子どもたちの健康被害のリスクをもうこれ以上高めることはできません。
 
私は子どもの命や健康、そして未来を守るために、ただ、
避難を続けたいだけなのです。

それは「避難」という選択が、
放射線被ばくからもっとも直截的に身を守る行為だからです。

母子で避難を開始した5年前から1年365日、一日も休むことなく、
毎日が「今日も避難を続ける」という苦渋の決断の連続なのです。

それでも私は、今日この法廷で意見陳述をしている今この瞬間も、
私たちが避難していることは、当然のことであり、
正当であると確信を持っています。

放射能は目には見えません。
でも、少なくとも、この法廷の原告席に座る一人一人は、
誰の目にも見えているはずです。
そしてその後ろにいる、
少なくとも全国各地に未だに10万人を超える「避難」をした人々の存在そのものが、
福島事故による放射能被害を見える形で映し出しているのです。
 一番真剣に「被ばく」と向き合う人々の声を、裁判所には聞いて頂きたいと思います。

「放射線被ばくから免れ健康を享受する権利」は、
誰にでも等しく与えられるべき基本的人権ではないのでしょうか。

国策と大企業である東京電力により推進された原子力発電所の事故により、
避難を余儀なくされ、
国の無策によって被ばくと向き合わされ続けることになった被害者に対し、
国と東京電力はきちんと向き合い責任を果たすべきであると考えます。

加害の側が被害を矮小化し、
不均衡な支援によって被害者を分断し、
避難の継続を妨害し、
実質的に帰還を強いるような施策の実施は、
さらなる重大な権利侵害であると思います。

裁判所におかれてましては、どうか
「ふつうの暮らし」をしていた人々の
「当たり前」の日常生活が破壊された実態と、
「被ばく」という「恐怖」と向き合い続けなけれならないという
甚大な被害に目を向け、
公正な判決と早急の救済を期待します。

裁判長、
人の命や健康よりも大切にされなければならないものは
ほかにあるのでしょうか?

私は、放射線被ばくから免れ、
命を守る行為が原則であると考えます。

                        以上

第9回期日表


「ふつうの暮らし 避難の権利 つかもう安心の未来」裁判@大阪地裁 
第1回口頭弁論期日における原告の意見陳述 は
コチラ
http://sandori2014.blog.fc2.com/blog-entry-168.html

ピンクチラシ 切り抜き

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※皆さまへ→できるだけ多くの方々にお広め下さい。
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※裁判所で実際に弁論、意見陳述等で発言された方へ

 →是非、原稿、発言内容をブログ等で公開させてください。
  (匿名でも勿論OKです!)

是非とも避難者の「声」を裁判所だけでなく、
広く、一般の方々にも「伝えて」欲しいと思います。

東日本大震災避難者の会 Thanks & Dream 
        【裁判所に「声」を届け隊】一同

連絡先  sandori2014@gmail.com

| 【裁判所に「声」を届け隊】 | 21:54 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

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