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≫2014年12月

神戸ルミナリエ企画2014 避難者の声 No.15 埼玉県→大阪府

【神戸ルミナリエ企画2014 避難者の声 No.15】

埼玉県から大阪に家族で避難移住しました。東日本大震災後、 放射能の危険を知らなかった私でしたが、友人から知るきっかけがあり自らも調べるようになりました。だんだんとテレビなどでは報道されない事実を知るうちに「家族の健康を守るために西へ移住するしかない」とパソコンの前で泣きながら決断した時を思い出します。ここ大阪にきて2年半が過ぎこちらの生活にも慣れました。でも、公園で子供と遊んでいるときにふっと故郷のことを思い出すことがあります。放射能の汚染がなければ埼玉で暮らしていたのに・・・と。
健康面での不安はずっと続きます。大阪で暮らしていても食べ物には気を付けています。これからも気をつけていかなくてはなりません。これは普通のことじゃないです。 でも、気を付けるのが当たり前にならないと子供の健康を守ることはできません。
安心して食べられる日はくるのでしょうか。少しでも子供が生きやすい未来になるよう願わずにはいられません。

                     埼玉県→大阪府

神戸ルミナリエ企画2014 避難者の声 No.14 福島県中通り→京都市(60代 女性)

【神戸ルミナリエ企画2014 避難者の声 No.14】

私は京都に単身避難をしています。
事故以降、私は全身のありとあらゆる毛が抜けてしまいました。元々あったアトピーも悪化し毎晩かきむしるようになり眠ることができませんでした。京都に避難してからは驚くほど改善しました。私はこれまで60数年間、一度も福島を出たことがありません。右も左も分からない私が京都で一人暮らしなど考えもしませんでした。そんな私が避難を決意した一番の理由は、娘が身寄りの ない関西に母子避難したからです。昔から娘は体が弱く避難後も体調を崩し痩せ細り、第2子を流産しました。私は母としてそんな娘を見ているのが大変辛く、何か手伝えないかと福島を出ることに決めました。福島には95才の私の母がいます。夫と交代で介護しながらの二重生活。いつも娘を助けてあげられるとは限りません。娘はどんなに苦労しても子どもを守りたいという意思は固く、今もこの関西で避難を続けています。放射能という相手がとても大きすぎて私達にはどうすることもできません。どうか日本中の皆様にこの現状を知って欲しい。

            福島県中通り→京都市(60代 女性)

神戸ルミナリエ企画2014 避難者の声 No.13 千葉県鎌ケ谷市→滋賀県東近江市

【神戸ルミナリエ企画2014 避難者の声 No.13】

昨年千葉県鎌ケ谷市(柏市、松戸市などと隣接している市)から滋賀県に移住した。鎌ヶ谷市を含む千葉県北西部は汚染状況重点調査地域という国が認めた汚染地帯、ホットスポットだったのにそのことに気づかず2年間を過ごしてしまった。東日本一帯が黄色で覆われたセシウム137のマップを見た時の衝撃は今でも忘れられない。「ただちに健康に影響はありません」。気がついた人たちはその言葉で危機感をもったと今になっていろんな人から聞くが、あの時の私は “ただちにない” ということは “いつかは影響があることだ” と認識することができず、政府が影響ないと言っているのだから騒いではいけない、冷静にしているのが日本人としての美徳みたいな感覚さえあった。
“国に裏切られる”なんて考えたこともなく、この事実を知った時、まさか日本が…とものすごく混乱した。

この問題に気がつき、自分の体調不良は放射能の影響によるものが大きかったのだとようやく結びついた。私の場合は目への影響が深刻で、2年間ずっと続いていて、移住せずにとどまっていたら目が見えなくなっていたのではないか、と今でもあの時のことを思い出す。

関西で放射能のことを気にしていらっしゃる方からは、「関東の人は知っていて、でも事情があるから仕方なく住んでいる」とよく聞くけれど、私の感覚ではあの時の私のように“単純に知らない” “まさか自分のことと思っていない” 人がほとんどだと思っている。
人々が東京を含む首都圏にも放射性管理区域に該当する汚染が存在していることを知った時の衝撃はいかほどであろうか。
今なお以前と変わらぬ生活をしている人が事実を知った時の悔しさはいかほどであろうか。
体に起きている不調が放射能による影響と認識した時の絶望はいかほどであろうか。

気がついた今、知ろうとしなかった自分自身ももちろん問題だったと反省するが、ひたすら真実を隠し、新聞やテレビで真実を伝えていない日本で気がつかないでいる人がいるのは当然で、その人たちにどうにかして伝えたいと願っている。
みなさんにも東北、関東にご家族、ご親戚、大切な友だちがいらっしゃると思う。
その方たちは放射能の “本当のところ” に気がついておられるだろうか?
放射能のことを話題にするのはしんどいことかもしれない。でもそこを確認しあいたいし、みんなで気づきあいたい。 
あとになって “伝えなかった後悔” だけはしたくない。

放射能により人と人とが分断してしまうのではなく、
愛をもってつながっていくことができると、私は心から信じている。

千葉県鎌ケ谷市→滋賀県東近江市 

神戸ルミナリエ企画2014 避難者の声 No.12 茨城県→大阪府

【神戸ルミナリエ企画2014 避難者の声 No.12】

震災直後、私は茨城県から大阪に避難してきました。当初私が感じた事は、避難者がランク付けされているという事です。放射能避難と言うと、風評被害と言われ、単身避難で男性の私は、最下位のCランクなんだという思いにかられました。その後、関西原発賠償訴訟の原告になる事ができました。場所も被害も微妙な茨城県のため、避難民になれない難民のような立場でしたが、原告になることで、初めて避難民として認められた、CランクからBランクへ上がった気がしました。
たくさんの福島県の人が、茨城県はじめ関東に避難しています。この状況が、福島以外は大丈夫だという誤解をあたえ、関東から避難する事をより複雑に難しくしています。放射能避難と言えない隠れ避難者がたくさんいます。この事実を隠さずに生活できる日を願っています。

茨城県→大阪府

神戸ルミナリエ企画2014 避難者の声 No.11 南相馬市→木津川市

【神戸ルミナリエ企画2014 避難者の声 No.11】

キレイな電飾のこの街。思い出されるのは、2011年3月12日夜。ただ言われるままに車に乗る娘二人と、訳がわからずに嫌がる両親を連れ、飛び出すように車を走らせ『避難』。屋内待機の防災無線が流れる静かな南相馬市。私は事故の場所から遠ざかりたくて必死でした。隣村の飯舘に入ると様子は一変。車のテールランプの赤い光で、村を焦がすかのようでした。時間もだいぶ過ぎたのにどの車内も小さな子供連れでした。
あれから、3年9か月。目の前の光は、優しく人の心を和ませるLEDランプに変わったけれど、あの時の混乱の中出会った人々の生活も心も、同じように変わったのでしょうか。
私はあの日、あの時、傷ついた人々全員が幸せに思える日が来るまで。
私は、この命の光を燈しつづけます。

                         南相馬市→木津川市

神戸ルミナリエ企画2014 避難者の声 No.9 東京都葛飾区→大阪府茨木市

【神戸ルミナリエ企画2014 避難者の声 No.9】

「放射線管理区域で暮らしたくない」ただその思いだけで必死に西へと家族で移住してきて3年。避難先や避難元の人々とふれあい、支えられたり支えたり、今家族と幸せに暮らしています。
震災後に産まれた娘の死を乗り越えた今、気持ちはありがとう…
一年間幸せをくれた娘にありがとう。 
そばにいてくれる夫と息子にありがとう。
助けてくれる親や兄弟や友達にありがとう。
おいしい食べ物がたくさんあることにありがとう。
私を守り愛してくれる地球にありがとう。
宇宙から見れば良いも悪いもなく、
私は自分を幸せにすればいいんだなと。
これを読んでくれたみなさま、ありがとう。

                   東京都葛飾区→大阪府茨木市

神戸ルミナリエ企画2014 避難者の声 No.8 福島県中通り→大阪府・母子避難中

【神戸ルミナリエ企画2014 避難者の声 No.8】


~避難者の『今』~

 皆さんに知っていただくとても良いテーマだと思います。

 なぜなら、震災・原発事故からもうすぐ4年になりますが、
 避難者である私達に『今』など無いから。。。

 3.11そして原発事故直後から私たちは何ひとつ変わってはいない。変わったこととと
 いえば、世間から忘れ去られようとしているくらいでしょうか。

 私は今も母子避難、一家離散、子どもの健康被害に対する不安。。。
 何一つ変わってはいない。真実は公表されないということも。

 ただただ悲しい、情けない。。
 事実をしっかり見てはもらえない。

 そこには誰にも消せない『放射能』という汚染がある。事実がある。
 首にメスを入れられた子どもたちを直視して欲しい。それが事実。。
 消しようがない事実です。。

                  福島県中通り→大阪府・母子避難中

神戸ルミナリエ企画2014 避難者の声 No.7

【神戸ルミナリエ企画2014 避難者の声 No.7】

福島県郡山市から大阪府高槻市に家族で避難しています。もう「移住」と言ってもいいのかもしれません。「子供たちが大きくなるまでは帰らない」と決めているのですから‥
私はこの高槻市に越して来るまでに避難所も含め、三ヶ所移動をしました。どの場所でも本当にいい方との出逢いに恵まれ、関西の人たちの心の温かさ、懐の深さを感じました。もちろん今の土地でも感じます。本当に有難い気持ちでいっぱいです。
それまで、私達夫婦は一度も福島県を離れて暮らしたことがありませんでした。「避難」は大きなチャレンジであり、冒険でした。「子供たちを守りたい」気持ちは一緒でも、夫婦だからと言って同じことを感じるとは限りません。子供たちも然りです。
慣れない土地での生活で、それぞれに頑張ったと思うのですが、比較的子供たちは周りに溶け込むのが早かったと思います。大変だったのは夫ではないでしょうか?仕事に慣れず、会社を辞めては探すのを繰り返し、焦ることもあったと思います。最後は「福島県に帰って除染の仕事をしようか」とも思ったそうです。今は、そんなこともなく、なんとか大阪府で仕事をしています。「子供たちのために‥」と歯を食いしばって頑張っている夫にも感謝です。
震災によって日々の当たり前のことに、感謝し、幸せを感じる(アップダウンありますが(笑))毎日です。ただ、大阪も大好きですが、本当だったら福島県に帰りたいです。「単純には帰れない」そんな土地になってしまい、悲しんでいいのか怒っていいのか、感情の行き場がないときもあるのが実情です。

                       福島県郡山市→大阪府高槻市

【神戸ルミナリエ企画2014 避難者の声 No.6】

【神戸ルミナリエ企画2014 避難者の声 No.6】

子ども3人を連れて母子避難(2012年1月)しましたが、長男は故郷が恋しくて、どうしても新しい土地で生きていくことが苦しくなって、中学3年の秋(2013年)に帰郷してしまいました。私は、放射能汚染から息子を守りきれなかったことを悔やむ日々の中におりますが、人の心というものは、我が子でさえ思いのままにはなりません。人事を尽くし、あとはもう、なにか大いなるものに委ねることでしか私自身の心の平安を保つこともできなくなりました。原発事故は継続中で、汚染もより一層深刻になり続けています。何ひとつ解決しないまま、誰も責任を取らぬまま、月日が流れていく…
そんな中で子ども達は成長していきます。
出口が見えないままの4度目の年越しです。
                    
                      茨城県北茨城市→京都市

神戸ルミナリエ企画2014 避難者の声 No.5 福島県相馬市→大阪府守口市

【神戸ルミナリエ企画2014 避難者の声 No.5】

2011年3月11日午後2時46分、東日本大震災が発生しました。地震もすごく大規模で当時の状況は今でも鮮明に覚えています。しかし、私たち家族(夫、私、小3、年長)を今でも苦しめているのは、福島第一原発の事故です。あの事故がなければ、私たち家族は今頃一緒に暮らしているはずなのに...
2011年3月14日、私たちは放射性物質から逃れるために、家族4人で私の実家である大阪府守口市に避難してきました。3月下旬になると、夫の職場も落ち着き仕事が再開されるので、夫は自宅である福島県相馬市に帰って行きました。ここから、私たちの母子避難生活が始まりました。現在も母子避難継続中です。
母子避難で大変なのは、夫が大阪に来る時の交通費です。その他、二重生活のために経済的負担はとても大きいです。東京電力に請求しても、相馬市は国が定める強制避難区域ではないために、認めてもらえません。
このままでは、避難を続けることができない...でも、相馬市に帰るのも不安...
私は、他の避難者達と一緒に裁判を起こす決意をしました。裁判なんて今までテレビの中の出来事で、自分が関わる、しかも自分が裁判を起こすなんて思ってもいませんでした。しかし、このまま泣き寝入りは悔しいし、何かできることがあればやってみよう、という気持ちが強かったので、他の避難者と助け支え合いながら、提訴することができました。私は関西訴訟に参加していて、提訴から1年経った2014年9月に第1回期日が始まったばかりです。
原発事故を風化させないためには、私たち当事者だけでなく一般市民の方々にも関心を持っていただくことが大事だと思っています。関西訴訟だけでなく、兵庫や京都でも同じような訴訟が起こされています。 原発事故が過去のことにならないためにも、私たちの裁判を応援していただけると大変嬉しいです。

                       福島県相馬市→大阪府守口市

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