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≫【2014年神戸ルミナリエ企画】

神戸ルミナリエ企画2014 避難者の声 No.17 神奈川県川崎市→奈良

【神戸ルミナリエ企画2014 避難者の声 No.17】

川崎市から奈良の実家に母子避難してきました。最初は、しばらく落ち着くまで、と思ったいた避難生活も長引き当事8ヶ月だった娘は4歳になりました。父親のいない生活にすっかり慣れてしまい、これでいいのか…と毎日悩みながらも戻る事もできないでいます。川崎市からの避難という事で親族からも理解もなく、自分の中でも後ろめたい気持ちもありあまり人に言う事もなく『父親は単身赴任』ということで3年間過ごしていましたが、娘の幼稚園をどちらで行かせるかで悩んでどうしようもなくなっていた時にある避難者の会に出会いました。初めて私以外にも関東から避難してきている人がいる事を知りました。それまでの3
年間、「関東は大丈夫だろう」と言われ続け自分でも避難している事に自信がなくなってきている時に出会え、いろんな情報、真実を知りました。自分が動かなければ知る事がなかった情報ばかりで驚きました。確かにそのような事を知らなければ、避難先にもなっている関東は誰でも大丈夫だろうと思ってしまいます。私も、避難はしているけど心の中では「川崎なのに避難するほどなのか。。」と思っていました。娘の入園をきっかけに戻るかどうするか眠れないほど悩みました。また小学校の入学時にあのような時がくるのかと思うと今から不安になります。あと二年後にはもっと「関東はもう大丈夫だろう」と世間は思っているようになるかもしれません。そうなる前にもっと多くの真実の情報が誰にでも届くように、自分で調べなくても誰でも目につくように情報を流して欲しいと願っています。いつも悩んでいる時に助けてくださる、避難者の方々、支援者の方々に出会えた事に本当に感謝しております。

神奈川県川崎市→奈良

神戸ルミナリエ企画2014 避難者の声 No.16 福島県郡山市→大阪市・母子避難(子ども2人)

【神戸ルミナリエ企画2014 避難者の声 No.16】

1.原子力災害は人災であり公害の最たるもの

3 年前に福島県郡山市から子ども2人を連れて大阪に避難してきました。

東日本大震災、福島第一原子力発電所の事故から約3年半が経過しました。原子力災害、津波災害によって、今なお関西の地には多くの方が、避難してきて、まだ帰れずにいる人がたくさんいます。そうした中、いまなお関西で避難生活が続けられるのは、ひとえに大阪の皆さまが、まず避難者を受け入れ、そして3年間寄り添い、支え、励まして応援をしてくださったから避難者は現在倒れずに避難生活を続けることができています。
この間、広島でも大きな土石流の災害があり、国内で事故や災害があり、世界中で災害が起こっています。福島第一原発の事故だけではもちろんありません。しかし原子力災害は人類の歴史上、とても大きな人災とも言うべき災害であり、 放射線を広範囲に撒き散らす 「公害」 の最たるもの だと思っております。その事故が福島県で発生し、その当時 住んでいた福島で原子力災害を 目の当たりに体験した私が 「今できること」 は何だろうかと、3年半避難生活を送る中で、ずっと考え続けてきました。


2.まさか原子力災害 により避難を余儀なくされるとは 思わなかった

私が住んでいた福島県郡山市は、海沿いの福島第一原発から60kmほど内陸に入ったところにあります。私たち のような福島県中通りからの避難民は 「中途半端な福島」と呼ん だりして います。というのは国や行政が強制避難区域に指定した地域は、福島第一原発から2~3kmという 極めて狭い 圏内にある浪江町や双葉町など原発立地自治体があるところ が中心 です。当時20㎞、30㎞と同心円状に屋内退避命令が 広げられていきましたが結局30㎞でその円は止まりました。 ですから 最初、 60km離れた私たちの地域は、まさか自分も含めて避難しなければいけないとは思ってはいませんでした。 ですから 避難を決心するまで に我が家は 2ヶ月 もかかってしまったのです 。
まず、震度6の地震によって、郡山市の自宅を失った時点では、同じ郡山市内の避難所で生後 5ヶ月の赤ちゃんと3歳の幼児2人の子ども を抱えて 家族4人で 避難していました。震度6の地震被害から子どもたちの命を守らなければならないということに直面し、避難生活を送っていました。 3.11 は大津波が発生し、その日が命日となった人が、東北にはたくさんいます。そんな中で60km離れた私は、被災し、自宅は失いましたが、目の前にいる 2人の 子どもと、夫の命は 救われた、 家族を失わずにすんだ 、 これは与えられた命 ・生かされた命 だと実感しました。その後、原子力発電所の事故を 避難所にあるテレビの ニュースでみました。あの当時はそのニュース一色でした。すべて特番に切り替わっていました。しかし、まさか自分が原子力災害の被害にあうとは思っていませんでした。郡山市は60キロ離れていたのですから。でも避難地域が同心円状に広げられ、 いつ自分たちのところにまで放射能汚染が到達するのか、 私たちは、放射線の被曝という 迫り来る 恐怖と毎日たたかっていました。


3.被曝という恐怖とのたたかい

毎年8月になると、広島、長崎の被爆者の人たちが、長年本当に身を削って高齢になられた方 でも命の続く限り ずっと語りつづけて発信をしてくださったその「 ヒバク」という意味を今ほど身近に感じない日々はありません。 大阪の皆さんは、同心円状に広げられていくニュースはご存知ですが、60kmの私たちはどう見ていたかというと、原子力発電所が爆発しているので、福島第 1 原発に近いところから順番に逃してもらえる、 住民は パニックを起こさないように、それこそ順番に、人は逃がしてもらえる もの と思っていました。人類史上、チェルノブイリ事故の経験もしていますから、ロシア(旧ソ連)でもバスが来て、行政の責任で強制的に避難していたので、今回も当然近いところから、順番に、避難ができる、 汚染地域から順次住民は 出してもらえると思っていました。だから、 60 キロの私たちは、慌てて自家用車に飛び乗って大慌てをして事故を起こすと、近くから順番に避難している方が助かるものも助からないだろうと、そういった感覚で、福島の人は秩序を守り、理性を働かせて、順番をまもっていたのです。私も避難所で、目の前の子どもたちの食べ物やおむつを手配することに意識を振り向けていました。
ただ、そう思いながらも、何が一番怖いかというと、「被ばく」という言葉は広島・長崎の経験と平和教育を受けて知っていますから、放射能には恐怖を感じていました。しかし低線量の被曝はわからないのです。放射線は色が無い、においもない、肌にあたってピリピリすることもない。昨今話題になった鼻血ができることも 基本的には低線量であればあるほどないわけです 。ある人は出るし、出ない人もいる。私の子どもは 乳幼児だったために外にはあまり 出さなかったので、 鼻血を出すことはありませんでした。ですから、逆に、 私はすごく迷いました。当時、避難所で、 そして避難所を出て福島の幼稚園に入園させた3歳の息子やゼロ歳の赤ん坊に向かって私は「 鼻血を出せ、出してくれ」 と言っていたのです 。なぜなら、 鼻血が出ればどれほど分かりやすいか・・・ 。 我が子の 鼻血を見たお母さんたちの多くが、すぐに荷物をまとめて避難をして いきました。何の迷いもなく避難という決断が出来るのです。躊躇なく「避難する」という選択が出来ます。母親として当然だと思います。ですから、私も我が子に鼻血の症状が出てくれないかと本気で思ったのです。尋常ではありません。そのような中、当時、郡山は人口が流出しているのが目の当たりにできました。 子どもを連れた世帯がどんどん引っ越しをしていったのです。土日、大型の引越用トラックが続々と来ては子どものいる世帯が出て行きます。月曜日に残っているお母さんたちの話題は「〇〇ちゃんのところは、北海道に親戚がいるからいったらしい」「九州に、関西に親戚がいるからいったらしい」と。親戚縁者、知り合いがいるなどのつてによって、出て行ける 条件の ある人だけが出て行く、そうでない人は残るしかないという生活をしていたのです。
まさに被曝の恐怖に向き合いながら、 放射線防護について何をどこまで気をつけたらいいのかも分からないまま、誰も教えてくれないし、誰も助け出してはくれない中で、強烈な違和感のある中、福島での生活を続けていました。
私たちが母子だけでも関西に避難をすることが出来たのも、たまたま福島を出る決断をするための条件が震災から2ヶ月後のゴールデンウィークという長期休暇をキッカケに偶然的にも 巡ってきたからであり、今でもそのタイミングを逸していれば、被ばくを避けるための選択をでき ずにいたかもしれないと思うときがあります。


4.「避難の権利」 を国に認めさせるために裁判をおこす

そして、まさか自分が避難をするのに、あるいは避難をしてきて、国に対して、その避難自体を認めてください、それは命を守る ための 憲法上の権利ですと、訴えなければ認めてもらえないということが、この 現代 社会の日本で起きるとは思って も いませんでした。でも、今は実際はそういう状況です。本当に狭く区切られた、2,3キロの飛び地の放射線濃度が高く人が足を踏み入れられないところだけを強制避難区域に指定して、 あとは 、人が住んでいることをいいことに、まるで福島は安全で戻ってくるのが当然という 雰囲気が作られつづけています 。
そうなると、避難した人が声を上げづらい状況になるのです。まさに今、私たちのような避難者が、全国に24万人ほどいると言われています。ですが、その正確な実数も誰も把握してはいませんし、 避難者が声を大にして放射線被曝から身を守るために避難をしているということを主張出来る社会的環境があるとはとても言えません 。避難していることだけを強調すると、福島に住んでいる人が命を守っていないようにまわりから とらえられることもあります 。 声を上げると 福島の復興を妨げる、そのような風評被害をまきちらすなと逆に叩かれたり もするのです 。
避難した人は誰ひとり 、福島の復興を妨げようなどとは思っていません。綺麗な大自然と土地と美味しい食べ物の ある中 で、子ども達を健やかにのびのびと育てようと思っていました。今でも、私は福島が大好きです。 ですが私が子育てをしたいと思っていた大好きな福島は、3.11より以前の福島をいうのです。 今でも郡山にはホットスポットが 街中の いたるところにあり、公園には全部モニタリングポストが設置され、放射線量の数値結果が表示されています。平時でも 空間線量は 大阪の10倍はあります。それが、「ただちに健康に影響を与えない」としても、今後どういう影響を与えるのかは 誰も わからないのです。 そして誰も責任を取ろう、事実を真摯に受け止め、最悪の結果が出たとしてもそれを引き受けようという意気込みは全く感じられないのです。 広島、長崎の被爆を経験された方が、ずっと証言し、訴え続けてくださっています。 その経験に頼り、つながり、そして、それらの知見とも照らし合わせて、福島も今後は、事実を直視し、目をそらさず丹念に経過を追っていくしかないのです。唯一の被爆国と言われた我が国は、今後、被曝国としてその現実を真摯に受け止め、原子力災害を国難として受けた国民全員でこの問題と将来に渡り根気強く向き合っていかなければならないのだと私は思うのです。その責任が、 3.11 を経験した私たち世代、特に大人の責任と使命なのだと思うのです。


5.民主主義の根幹は言論の自由、知る権利

でも今の状況は何も調べない、国民に は知らせない 。どんどん安全キャンペーンばかりに力を注ぎ、 原子力災害を矮小化し、 事実を覆い隠し、一般市民、国民に知らせないという 由々しき状況が続いていると思います。 本当に民主主義の根幹を揺るがす 大変な事態 が起こっていると 危惧せずにはいられません 。民主主義の根幹 をなす「言論の自由」や国民の「知る権利」が脅かされているという現実を肌で感じているのは私だけではないと思うのです。 国民や一市民は、武器をもってたたかうことができません。 「言論」し かないのです。その言論の源になる情報を国からきちんと与えてもらわないと、自分の 意志表明さえ出来ませんし、意思決定も出来ません 。私はたまたま関西出身で、関西に親戚縁者がいて、震災から 2 ヶ月後に福島を出て 福島からは遠く700㎞ほど離れた 大阪から客観的に福島を見る機会に恵まれたため、母子で避難する決断ができただけなのです。本当に偶然に条件があっただけなのです。
避難せずに留まる人の中には、被曝に対する正確な情報を与えられていない人もいますし、避難できる条件がなければ避難したくても出来ないというのが現状です。国は、調べない、知らせない、助けない、この三拍子が揃った 国の不作為の中、事故の風化が進みます 。
そして事故は 何一つ収束もしていないし、原因すらきちんと究明されていないのに、まるで何事もなかったかのように原子力災害が人々の記憶から忘れ去られようとしています 。風化のスピードが進むのに乗じて、声を上げると、福島の復興を妨げるなとか、風評被害を煽るなと、言論も封じられていると感じます。 多くの避難者が全国に存在しているというその事実にだけでも目を向けてほしいと思います。放射線は県境では止まりません。福島県に限らず、多くの人びとが、子どもを育てる世帯が、放射能汚染地を離れ、「避難する」という選択を、自力で選んでいます。 どうして、避難をする のか、それはひとえに 放射線の被曝から逃れて、子ども達の 未来と健康 を守りたいからです。命を守る行為が私は原則だと思います。経済の復興や、町の再建と声高にいわれますが、その復興や経済を支えるのは「人」です。生きてこそ、健康であってこそ、なのです。人の命や健康よりも大切で守らなければならないものはあるのでしょうか。健康で、命をつないで、生きてこそ、復興に携わることが出来ますし、生活の再建もできるわけです。命を守る行為こそが原則で、例外的に留まらざるを得ない人にも、それに応じた生命・身体の健康を守るための具体的施策を行ってほしい、今は 、事故から 3 年半以上が経過しているにもかかわらず、そのような適切な施策が全くなされていない状態であるということ を訴えたいわけなのです。本当に何が最も大切な人としての価値なのか、国民のみなさんの 合意・総意を示して欲しいのです 。 そうすれば 、今の福島の状況、国内の原子力に対する国民の認識も 変わって いくのだと思います。


6.真実を伝えて理解と共有・共感を広げたい

私は普通に子育てをしていた福島のいち主婦、ひとりのただの母親でした。まさか、国や東京電力相手に、「 避難の権利」が憲法上の権利であると思う、だとか、命や健康に関わる権利が侵害され続けているので守ってください、という訴えを裁判所に訴え出なければならないとは思ってもみませんでした。 でも一人ひとりができることは何か、福島県で原子力災害を間近で体験し、放射線被曝に直面した私ができることは事実を皆さんに お話し、事実を共有し、理解と共感 を得ることしかないと 思いました 。これまでの避難生活が多くの皆さまに支えられ、避難をすること、 それと同時に被ばくから直接的に身を守ることができています。非常に感謝すべきことです 。これからも、今の私にできることは、おかしいことはおかしいと、何が最も大切にされなければならないのか、一母親、一国民の立場として訴えるでることでしか、今の私には社会へ返すことができません。原子力災害を国難として受け止めた大人の責任として、未来のある子どもたちのために、どうかこの裁判、避難者の声に耳を傾けて、現実を共有し、 全国民の皆さまが出来る事をひとつずつでも、大人の責任と使命として、その役割を担って いただければと思います。ともに歩んでください。よろしくお願い申し上げます。
福島県郡山市→大阪市・母子避難(子ども2人)

【神戸ルミナリエ企画】届いた避難者の「声」をご紹介します vol.1  

2014年12月【神戸ルミナリエで避難者の「声」を届けませんか?企画】にご寄稿くださった、
避難者の「今」の想いを伝える「声」をご紹介致します。

vol.1 福島県中通り→大阪府に母子避難

~避難者の『今』~

皆さんに知っていただくとても良いテーマだと思います。

なぜなら、震災・原発事故からもうすぐ4年になりますが、避難者である私達に『今』など無いから。。。

3.11そして原発事故直後から私たちは何ひとつ変わってはいない。変わったことといえば、世間から忘れ去られようとしているくらいでしょうか。

私は今も母子避難、一家離散、子どもの健康被害に対する不安。。。何一つ変わってはいない。真実は公表されないということも。

ただただ悲しい、情けない。。
事実をしっかり見てはもらえない。

そこには誰にも消せない『放射能』という汚染がある。事実がある。
首にメスを入れられた子どもたちを直視して欲しい。それが事実。。
消しようがない事実です。。


※ご本人の許可を得て、ブログへの掲載を行っております。

サンドリは避難者の真実の声、本当の想いを
社会に真摯に伝える活動に取り組んでいます。

東日本大震災から丸4年がもうすぐ経過します。
避難されている皆さまの真実の「声」を
届けませんか?

詳しくはコチラまで→【東日本大震災4周年企画】

〈メッセージ原稿の送り先・お問い合わせ〉
東日本大震災避難者の会 Thanks & Dream
【避難者の「声」を届け隊】東日本大震災4周年企画係
メールアドレス sandori2014@gmail.com

2014年 ルミナリエ 避難者支援ブース


2014年 ルミナリエ 避難者支援ブース
の様子を動画で配信してくださっています。

http://twitcasting.tv/kiyosiro/movie/122194109
( kiyosiro さんのツイキャス)

ルミナリエ避難者支援ブース出展の初日の様子です。

9分10秒あたりから
【避難者の「声」を届け隊】に送ってくださいました避難者の皆さまの「声」
展示されている様子が映っています。

避難者の皆さま、
多くの声を届けてくださいまして
本当にありがとうございました。

【サンドリ・ブース隊】も
このルミナリエ避難者支援ブースをお手本に、
今後も避難者の率直な「今」を真摯に伝える「声」を届けられるブース展示を
目指したいと思います。


【2014年ルミナリエ企画】にご尽力下さいました皆さまへ

神戸ルミナリエでは
2014年12月4日〜8日までの期間、
避難者の「声」を展示してくださいまして心から感謝申し上げます。

事前のご準備、
そして、大変に寒い中、ブースに立って下さいました
ご支援の皆さま、神戸の学生の皆さま、
本当にありがとうございました。


サンドリ【避難者の「声」を届け隊】より感謝を込めて・・・

神戸ルミナリエ企画2014 避難者の声 No.15 埼玉県→大阪府

【神戸ルミナリエ企画2014 避難者の声 No.15】

埼玉県から大阪に家族で避難移住しました。東日本大震災後、 放射能の危険を知らなかった私でしたが、友人から知るきっかけがあり自らも調べるようになりました。だんだんとテレビなどでは報道されない事実を知るうちに「家族の健康を守るために西へ移住するしかない」とパソコンの前で泣きながら決断した時を思い出します。ここ大阪にきて2年半が過ぎこちらの生活にも慣れました。でも、公園で子供と遊んでいるときにふっと故郷のことを思い出すことがあります。放射能の汚染がなければ埼玉で暮らしていたのに・・・と。
健康面での不安はずっと続きます。大阪で暮らしていても食べ物には気を付けています。これからも気をつけていかなくてはなりません。これは普通のことじゃないです。 でも、気を付けるのが当たり前にならないと子供の健康を守ることはできません。
安心して食べられる日はくるのでしょうか。少しでも子供が生きやすい未来になるよう願わずにはいられません。

                     埼玉県→大阪府

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